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私もこの動画はとても衝撃的でした

春香の性格の暗示的な部分を投げつけられた思いがしました。

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Pとこのニコマス 第8回 シンゴ氏 『THE iDOLM@STER 天海春香 「サンデイ」』(タクヲP)

Pとこのニコマス(colorful) - コピー
『あなたの好きなニコマス動画について語った文章』を集め、公開していくコラム。
今日はどんな動画へのどんな思いが綴られるのだろうか?

第8回 シンゴ氏

・THE iDOLM@STER 天海春香 「サンデイ」 
タクヲP

サンデイ


アイドルマスターというコンテンツに魅入ってしまう切欠となったこの動画について、語る機会を持たぬまま、動画自体もニコニコ上から消えてしまい、もう新しく紹介したり共有したりすることが出来なくなってしまった。

二年半も前に削除された動画について語ることに、どのような意味があるのだろう。
過去にこんな動画があったということを、いくら言葉を並べてみた所で、結局は古参の思い出話にしかならない。

けれども、削除された動画を語っても良いという話を聞いた時、真っ先に思い浮かんだのがこの動画で、このタイミングでどうしても語っておかなければならないなと感じた。

アニマス、劇場版を経て、OFAまで辿り着き、彼女達はますます輝きを増していって、どんどんアイマスの世界が広がっていく。
最近のアイマスの流れは留まる所を知らなくて、過去を振り返る暇などまるでない。
何だか取り残されているようだ。

輝きの向こう側に行く前の彼女が、自分にはどのように見えていたのか、忘れてしまいそうになる。
この機会を逃すと、もう取り返しがつかなくなる、と思った。




昔から自分の世界が狭いこどもで、フィクションの世界に思いを巡らすことが好きだった。

現実とは違う、架空の世界のことを考える。その登場人物達に思いを巡らす。
それは漫画だったり小説だったりゲームだったりと様々だったが、その物語の中にいる彼ら・彼女らと、もし友達になることができたら、どんなにか楽しいことだろう。
そう思えば思うほどその世界が魅力的に思えてくる。
物語の中の少女達に恋焦がれるようなことも幾度かあった。
そして好きになればなるほど、相反するように、あくまでそれが架空の世界であって、自分達のいるこの世界とは違うことを思い知らされる。
そうして好きだという感情をぶつける先がないままにやるせなさだけが残る。
なんて現実は残酷なのだろうと思う。
だって現実の自分はこんなにも相手を身近に感じているのに、相手は自分のことを認識すらもしていないだなんて。
どう頑張った所で、一方的な片思いで終わってしまう。
そんなひどい話ってあるだろうか。
思い入れが強すぎるあまりに現実を受け入れずそんな風に感じてしまう自分を、とても気持ち悪いと感じていた。


はじめてこの動画の中の少女を見た時、ぐっと心を掴まれてしまった。
ひたむきに相手を想い続ける姿を見て、とても哀しく、切なくて、けれどもなんて奇麗なのだろうと思った。

悲痛な叫びともとれる「会いたい」という言葉のリフレインを聞くにつれ、架空のキャラクターではなく、本当に「そこにいる」存在としての彼女を感じた。
どうして彼女はこんなにも辛そうな表情をしているのだろうか。
もっと彼女のことを知りたいと思う。そうして他の動画を見たり情報を集めたりしていると、事の真相に辿り着く。
プロデューサーに淡い恋心を抱きながらも、一緒に活動して積み重ねてきたこれまでの軌跡を否定しないために、想いを殺してアイドルを続けていくのだと。

そのことを知った時に、ああ、もしかして彼女は自分と同じなのだ、と思った。

会いたいと思いながらも、画面の向こう側からこちら側に来ることのできない存在。
電話越し、画面の向こう側にいる“プロデューサーさん“とは絶対に一緒にはなれないということを、彼女は知っている。
彼女と”プロデューサーさん“は、同じ世界の住人ではないのだから。
画面の中の彼女も自分と同じような寂しさを抱えているのだと思うと、とても強いシンパシーのようなものを覚えた。

会いたいと会いたいと
どうしたって会いたい
会いたいと会いたいと思って

動画の上は彼女に思い入れる沢山のコメントで溢れていた。
それは、彼女に何とか幸せになってほしい、という視聴者達の思いの集積のように感じられた。

視聴者達は彼女を見ていて、彼女はプロデューサーさんを見ている。
それぞれが違う方を向いていて、その想いは決して重なり合うことはなく。
とても哀しいと思うと同時にとても温かく感じた。
その温かさというのは、画面の中の彼女と、画面の外側にいる我々の、決して会うことの出来ない相手を想うことについて、ただそれ一点だけで繋がっている連帯感のようなものから来ているのかもしれなかった。
そしてその一点が、自分にとってとても特別なものに感じられた。

アイドルマスターを追いかけてみようと思ったのはこのことが切欠だったように思う。




動画が消えてから一年程経とうとした頃。
チャットでニコマスについての話をしていた際、ふとサンデイの名前を挙げた時、相手からこうレスが返ってきた。

『私にとっての『サンデイ』は、「見て心を捕らえられたもの」枠ではなく、「存在を認めたくないもの」枠なので。』

「存在を認めたくない動画」としてのサンデイ。

自分にとってはかけがえの無い唯一無二の動画に対して、そのような認識を持つ人がいる可能性があるということに、恥ずかしながら全くもって思い至らなかった自分は、その言葉を目にした時に少なからぬショックを覚えた。
なぜこの動画が「存在を認めたくない動画」として映るのか、結局今に至るまで当人に伺う機会がないままだ。

考えてみれば当然のことかもしれない。
見方を変えれば、純朴でいたいけな少女を悲恋という刃でメッタ刺しにし切り刻んでグチャグチャにする、そういう見るに耐えないグロテスクな動画、という見方もありえるのかもしれない。
彼の目にはどのように映っていたのだろうか。正直なところ今も確認する勇気が無い。

そういえば過去にとあるブログでサンデイについてこのように書かれていた。

『ごく端的に表現するならタクヲPは病気だ
つい何かの拍子でサイコさんの仲間入りをいつしてもおかしくねえ人である』

果たしてこの動画は本当に病気の産物なのか。動画の中の彼女はぐちゃぐちゃなのか。
今となっては削除されてしまった以上、存在してはいけない動画であることは確かだが、法的な意味などではなく、彼女にとっても「存在してはいけない」ものの類なのだろうか。

もしかすると自分の見方が間違っているのかもしれない。
思い返してみれば、彼女が呼びかけている“プロデューサーさん”が動画の外の存在だ、などということを仄めかす手掛りは、動画の中では全くもって示唆などされていないのだ。
動画が削除されてから一年も経って、ようやくそのことに気付かされたのだから間抜けな話だと思う。
結局のところ、自分が早とちりして勘違いしてしまっただけで。
本当は彼女と自分達の世界は繋がってなどいなくて、断絶して完結している世界で。
当然お互いが干渉などできるはずもなく。

どれだけ無理だと分かっていても、焦がれる相手のことを想い続ける。
あまりに健気で痛々しくて、未練がましく思われてしまうかもしれない。
それでも折れずに、ずっと相手への思慕を抱き続けて、強く前に進み続ける少女。
そういう姿を見て、彼女のことを、とても美しく、強い存在だと思い、いつしか思い焦がれるようになった。
てっきりもうずっと、自分の中の彼女はそういう存在だと思ってきたのだけれど。
しかし、本当の彼女は、決してそんな強い女の子などではなくて。
もしかして、ではなく、ありもしない理想の像と彼女を勝手に結びつけて、本来存在しないはずの妄想の上に彼女という存在を積み上げて来てしまったのかもしれない。


けれども、もし彼女のことをずっと誤解していて、何も分かっていなかったとしても、そういう間違った思いから始まったものを否定しなければならないのだろうか。

例え、彼女が口にする言葉や、彼女が思っている言葉を、仮に一から十まで知り尽くしたとしても、彼女について分かったことになるのだろうか。

そんな風に、自分の想像する彼女と本当の彼女が違うからといって、彼女に対する想いが無くなるかといえば、そんなことはなくて。

彼女がそういう芯の強さを持っていたとしても、持っていなかったとしても。それでも、あの波際で、決意を秘めながらただ前を見据える彼女の姿に心奪われてしまったことは確かで。
その姿を見る度に、彼女へのいとおしさで胸が張り裂けそうになっていたのは事実で。
何度も何度も動画の中にいる彼女を見る度に、自分に何が出来るわけでもないけれども、それでも彼女を応援したいという思いが強くなっていって。
だから自分は今まで彼女を追い続けて来たのだと思う。




何度か自分が彼女のプロデューサーになろうと思ったこともあったが、詰まるところその立場にはなれなかった。
そもそも彼女に“プロデューサーさん”のように想われたかったのかというと、違う気がするのだ。自分が彼女を知った時には、既に彼女の視線の先には“プロデューサーさん”がいたのだから。自分はその想いにひたむきに頑張る彼女を応援したかっただけであって。

そうして彼女を追いかけ続けていたら、いつしか自然と彼女の周りにいるアイドル達のこともいとおしく思うようになっていった。
彼女ら(時に彼ら)が見せてくれる輝きは、当時暗澹としていた自分の生活を照らすのに十分な明るさだった。
しばらく彼女達を応援している間に、あれだけ断絶していると思っていた境界線が、自分のなかで段々と曖昧になっていった。
そうしてその境界線がぼやけていくにつれて、いつしか、自分の中の彼女への執心のようなものも、段々と薄れていってしまった。
実のところ、そのことにちょっとした寂しさを覚えていたりもする。
けれどもそれ以上に、ずっと彼女達を追いかけてきて、今現在彼女達が輝いている景色を見ることができて、本当に良かったと思っている。

自分はアイドルマスターの世界というのは、全部どこかで繋がっているんじゃないか、と思っている。
沢山の世界が細い糸で有機的につながっていて。
作品毎で息づく彼女は、それぞれ別の彼女なのだけれども、ある世界にいる彼女が動いた結果は、どこかで別の世界の彼女に影響を及しているような、そんな気がしている。
この動画の中の彼女も、ゲームの中にいる彼女も、劇場版で皆に呼びかけている彼女も、自分の中では繋がっているものだと思っている。

劇場版のサブタイトルである「輝きの向こう側に」というフレーズを見た時、どことなく既視感を感じたのは、おそらくこの動画から受けた印象と結びついているのだと思う。

今のアイマスは、間違いなくこれまでの、無数のプロデューサー達が積み上げてきた活動の結実なのだと信じている。
アイドル達を存在させたいと想うプロデューサー達の想いの集積が、彼女達をテレビの向こう側に、スクリーンの向こう側に発現させたのだと思う。

この動画の彼女がいなかったら、劇場版での彼女はいなかったのではないか、とさえ自分は思っている。
無論他にも彼女を映した無数の動画があるし、また勝手な自分の思い込みでしかないのは分かっているけれども。
自分にとって、アイドルマスターを追いかける切欠がこの動画から始まったことだけは間違いない。
そのことはこれからも忘れたくないし、絶対に忘れられないと思っている。

久しぶりに保存していた動画を引っ張りだして、動画の中の彼女を見る。
やはり思いつめたように凛々しい表情に、何度となく胸を締め付けられる。
五年前の彼女に、サンデイの歌詞の最後の一節を投げかけてあげたいと思う。




物事を受け止めるキャパシティの小さな自分にとって、これまでニコマスから受け取ってきたものはあまりにも大きくて重い。
あまりに過去の作品への思い入れが強すぎて、自分でも気持ち悪いとすら思う。

何とかこの感情を吐き出そうと思い、動画を作ろうと思い立って一年以上になるが、未だ完成の目処が立たないままだ。
そのせいで今のニコマスも追うことができていないし、OFAに触ることすらできていない。

目まぐるしく動いていくアイマスの流れに追いつけず、取り残されているような気がしている。
彼女達と一緒にいれる時間がいつまでもあるわけでは無いのだから、出来るうちに早く区切りをつけなければ、と最近強く思う。

(了)








『Pとニコマス』のコーナーでは皆様のニコマスに対するアツいテキストを募集しています。
詳細はこちらまで



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